workshop/久留米絣の機やさん

山下織物

久留米絣 山下織物
経緯の柄がきちんと合った、山下織物ならではの文人織。

細かな格子がはっきりと浮かび上がる、山下織物の文人織。
括りでは表現できないミリ単位の柄は、織貫という技法で表現されます。

現在三代目の喜未輔さん、その祖父である初代・喜次郎さんは織貫動力織機を発明し、文人織の発展を進めた人物。
手織りと同等の緻密さを動力で再現した絣は、「山喜文人」の名で知られました。
しかし戦時下の金属類回収令によって織機が供出され、返却時には織貫に重要な部品が失われてしまったといいます。

「祖父の織貫動力織機の再現は難しく、それからは品質を保つために手織りで織貫を行なっています」

織貫職人の久保田東さんは現在79歳、この道なんと60年。
そして手織りで織貫を行なう、ただ一人の職人さんです。
経緯が揃ったきれいな文人を織るためには、経験を持った人の手による緻密さが必須。
約130年にも及ぶ山下織物の文人の歴史は、この貴重な職人の存在によって成り立っているのです。

久留米絣 山下織物絣糸の元となる絣筵。緯糸の糸束を経糸で仮織りし、防染をする。柔道着のように厚みがある。
久留米絣 山下織物ミリ単位に柄の出た藍染めの絣糸。文人織は柄と柄の間隔が狭く括ることができないため、より細かな防染方法として織貫が考案された。また、織貫は括りよりも防染部分に染料が入りやすいため、浸透率の低い藍で染める。
久留米絣 山下織物足踏みの織貫機を操る久保田さん。近所に4軒ほどあったという織貫工場も今ではここ1軒だけ。希少な技術だ。
久留米絣 山下織物喜未輔さんが家業を継いだ19歳の時から50年来の付き合いだという。久留米絣の歴史をその目で見てきた2人だ。