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今も、織機が嫁入り道具だった時代も。

2013年2月7日

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久留米絣ブログ久留米絣ブログ久留米絣ブログ久留米絣ブログ久留米絣ブログ

久留米絣を支える女性たちの話。


200年以上の歴史も持つ久留米絣は、元来、農家の副業として発展しました。
九州一大きな筑後川の側では綿の栽培が盛んに行なわれ、
また、筑後地域は大陸との接点も近かったので、染めや織の技術もいちはやく浸透していました。
そんな中、「久留米絣」という独自の織物を生み出したのは、井上伝という少女。


米屋の娘として生まれた彼女は12、3歳のころにはすでに、一人前の織手として木綿を織っていました。
自分の衣服にできた斑点に発想を得て、たて糸とよこ糸を組み合わせた「飛白」という模様の絣織を発案。
その美しい絣はたちまち評判になり「霜降織」「霜織」などと呼ばれ親しまれたのです。
これが長い長い、久留米絣の歴史のはじまり。


当時、機織りは女性の内職として最適とされ、どの家庭からも機を織る音が聞こえていたそうです。
通気性が良くて生地も強く、洗えば洗うほど柄が冴え美しくなる絣は重宝され、
母は娘に、娘はまた、自分の娘に、その技術を伝えていきました。
家族の衣服を織り、布団を織り、解いてはまた、形を変えた何かに。


母親が、家族の着るものを作っていた時代。
農業をして、布を織って、もちろん家事もして、当時のお母さんはさぞ忙しかったことでしょう。


今でも絣の工場では、たくさんの女の人たちがたんたんと作業をしています。
若い人もいれば、腰が曲がったおばあさんまで。
何歳になってもするべき仕事があるというのは素敵なことです。


何十年もたんたんと機を操る。
彼女たちは職人でありながら、気負うことなくひょうひょうとした佇まいを持ち、
「自分のするべきことをする」
そんな風に凛と、粛々と、作業を進めるのです。

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